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2011年9月

2011年9月30日 (金)

ドラクエ回顧録 その21 2006年

こんばんは。

2006年  ~回帰気味にした古いゲーム~

2006年もFF11中心にしていたが、この年、部屋を整理していたときにファミコンやその他古いゲームをとりだしたときにふとしたことから昔のドラクエをやった。...といっても3や4は電池が切れており、「お気の毒ですが・・・・」すらでることはなく、セーブデータは消えていた。だが、SFCカセットは10年以上たってるはずの5や6がまだ切れておらず、一つとして消えていた冒険の書がなかったのは驚きである。実はSFCのドラクエでこのときも含めて「お気の毒ですが・・」は一度もない。14年ぶりに5のデータを見たら、はぐれメタルやキラーマシン、ヘルバトラーといった4強は全部3匹いた。レベルもMAXになっていて、種を与え続けたのか主人公のHPは998(なぜか999でない)、人間キャラは全体的にHPやMPも少なくとも100以上増強され、ビアンカと娘の力は255になっていた(笑)そのくらい増強していた。やっぱりそうとうやりこんでいたんだなという感想である。

逆に6は人間キャラは全員99で全職極めたところまではなっていたが、仲間モンスターはあまり育てておらず、カダフウ(ランプの魔人)も仲間になっていなかった。

まあ、一時的に取り出してはみたもの、片づける目的だったので再び押入れの奥へしまいこまれることになったのだが。

この年、FF11はアトルガンの秘宝という追加ディスクが出て、おそらく、プレイヤー人口的にはピークであった時期と思われる。ただ、人気自体はピークを過ぎたとおもわれる時期で、私も、このころになると最新のFF11コンテンツに積極的に参加できるほど余裕もないし、徐々にまったりプレイになるようになり、ハマリまくってた時期にくらべるとプレイ時間は明らかに減った。

今日はここまで。では、またー

2011年9月29日 (木)

ドラクエ回顧録 その20 2005年

こんばんは。

2005年  ~再びFF11へ~

ドラクエ8とリメイク5が2004年に出たのに対し、この2005年では実に寂しいことに、ドラクエの新タイトルはDSででがスライムもりもりドラゴンクエスト2だけ。どうしてもGBやDSでゲームをしたいとは当時思わなかったため、モンスターズ等のシリーズにはどうしても興味が持てなかった。

ドラクエ8がぱたっと止まってしまったこと(といっても2005年の前半まではやっていたのだが)で、再びFF11にはまる日々がつづくことになる。FF11は海外にも開放され、またリアルマネートレーディングなどの違反行為が問題化した時期である。当時の勢いはすごいものがあった。おそらく、FF11の人口が最も多かったのはこの時期と思われる。

また、2005年は私がリアルで大きなある出来事があって一時期ゲームをしなかった(できなかった)時期があった。そのため、さらにドラクエから離れてしまった年でもある。

今日はここまで。また~

2011年9月28日 (水)

ドラクエ回顧録 その19 2004年

こんばんは。

2004年 ~少しドラクエに回帰した年~

2003年はFF11しかほぼしておらず、その状態ではいった2004年。この年はドラクエ8が出た年。さらにリメイク5が出たのもこの年です。

ドラクエ7に悪い印象がなかったため、8も期待していた。ただ、開発画面がでてくると一抹の不安がよぎる。それは3DでキャラがFFのようにアニメする..おりしもスクウエアとエニックスが合併してスクウエアエニックスになった直後もあって、ドラクエがFF化したのではとは当時よく言われたことである。

11月27日が発売日であったが、私が購入したのは12月の中ごろになってからである。PS2がFF11マシンと化していたため、DISKを挿入するのも久しぶりだった。ただ、プレイして、不安だったFF化はなくてよかった。3Dのフィールドは確かに今までのドラクエとは雰囲気が違うのだが、広い大地を歩いている感覚が気持ちいい。これはこれでアリだと思った。

ただ、7同様キャラの入替えは少なく、というより、説明書にも載っていた4名だけ。ストーリー上ゼシカが一時的にいなくなる時期があるが、最後まで固定である。実に2以来のPT組み換え不可のシリーズである。戦闘はアニメーションして綺麗であるが、テンポは以前のシリーズより落ちた。錬金システムのアイディアはいいのだが、ほとんどの錬金レシピが赤字で、ストーリーを進めないと手にはいらないものを早めに作れるメリットしかないのが難点。

成長システムは6,7の転職システムはなくなり、スキルを振って各キャラ固有の技や呪文を覚えるシステム。ちとドラクエじゃないようなシステムだが、特定の使える技ほしさに全員が、同じ(その使える)技を覚えることは不可となったのでバランスは良くなっている。しかし、攻略本等であらかじめ誰が何をどのスキルで覚えるのを知らないで無計画にスキルを振ると悲惨である。いわゆる「地雷スキル」があり、初プレイでその地雷スキルに振ってしまったりするとえらく苦労することに。同じく錬金にも「地雷錬金」が数多くあり、ゲーム中で手に入る数が決まっている貴重品を後で店で売っているようなものを作るために錬金してしまう失敗も犯しやすい。

新しい試みが多い中、原点回帰しているようなシチュエーションがあったのがうれしい。私の場合、神鳥の魂をつかったときにキターーー!となった。あの曲をバックに空を飛ぶシーンの美しいこと。

だが、ドラクエ8はこの空を飛べるようになったとたん、ぱたっと止まってしまった。

何故止まってしまったのかは上記に書いた通り、地雷スキル、地雷錬金をしてしまったこと。特にスキルはかりにレベル99になっても全部MAXにならないし、錬金の素材の中には1個しか手にいれることができないアイテムを使うレシピが複数あるとか極めきることが不可能な仕様であることを知ってしまったからであろう。最終的に極められるなら、そのまま進めたのかもしれない。しかし、後戻りできない状態になっていてモチベーションががたっと落ちてしまった。

ドラクエ8を再開するのは2009年、ドラクエ9をプレイした後である。もちろん、最初からやり直した。事実上の2周目である

この年はドラクエ5のリメイクがPS2で出た。こちらも当初買おうかなと思っていた。ドラクエ4のリメイクとは違い、変な流用はなく、フローラのストーリーが若干追加になったこと、会話システムがあること、4人PT制になったのでファミリー全員で活動できること、新たな仲間モンスターが増えたこと。すごろくや名産品などのサブ要素が増えたなど要素としてはよいものであた。が、この時期は仕事も忙しい時期である上FF11をやっていて他のゲームに手を出す余裕がなかった。リメイク5は結局、今年になってプレイしたが、個人的には8よりもよかったという感想である。

ドラクエ8がぱたっととまったあとは、またFF11をやり続けることになるのである...

今日はここまで。またー

2011年9月27日 (火)

ドラクエ回顧録 その18 2003年

こんばんは。

2003年  ~FF11漬けの年~

2002年のところで書いた通り、FF11を始めてから他のゲームは殆どやらない(やる時間がないというのが正しいが)状態になり、2003年はFF11にドハマリ中であった。恐るべきことにこの年、FF11の拡張ディスク以外のゲームソフトは1本も買っていない。つまり、ゲームはほとんどFF11しかしていなかったのである。

この年はドラクエに関する新作はゲームボーイ版でモンスターズシリーズが出ていたくらいで、新作はおろかリメイクもでていない。そのため、ドラクエへの意識はさらに薄まり、そのままFF11をやりまくっていたときである。

FF11内のチャットでも、ドラクエの話になることもあるが、私とおなじようにFF11にはまったひとの多くが、FF11始めてからオフラインゲームほとんどやっていないとか、FFよりドラクエ派だったけど、FF11やってから考えが変わったとか、オンラインゲームの中毒性を体現するような話をよく聞いた。当時のFF11の威力はもの凄く社会人なのに学生時代と同じくらいゲームの時間を割いていた気がする。はっきりいって、一歩間違えば廃人になっていた可能性もある。

一方で私のまわりについては、FF11は会社内の同期の仲間や先輩もプレイしていてまわりもオンラインゲームの理解者が多かったこともあり、環境的には廃人が生まれにくい状況であった。これは幸いなことである。リアルの知人同士でオンラインゲームをやっていて、ひょんとしたトラブルで、人間関係が壊れ、悲惨なことになったという話をきいたこともあるが、私の周りにはそのようなことはなかった。

ドラクエ回顧録なのでFF11の内容うんたらはここでは書くつもりはない。しかし、2003年は残念ながらドラクエに関して書くことがほとんどないのだ....ごめんなさい。

今日はここまで。また~

2011年9月26日 (月)

ドラクエ回顧録 その17 2002年

こんばんは。

ちと、いま酒がはいっている状態で書いてるので、ヘンなことかいてるかも...

2002年 ~ややドラクエ薄れ気味~

ドラクエ7が出て2年経過。8の情報も特になく、これといったシリーズも出ず・・・ということで、この年はドラクエ熱がやや薄れた年。しかも、この年は私にとっていい意味でも悪い意味でも悪魔のゲームがリリースされた。

それはFF11。そう。FF初のオンラインゲームで、ある意味日本製で最も成功したMMORPGである。

もともとこのゲームは会社の知り合いの数名、βバージョンからやっているプレイヤーから誘われてやったゲーム。しかし、このゲームははっきりいって両足を突っ込んだ上でブラックホールに吸い込まれてしまったといえるドハマリ状態に陥った。

2011年現在、FF11のアカウントはまだ保持しており、今でも続けているゲームでもある。(さすがに最近は毎日のようにプレイすることはないが)

はっきり言ってしまおう。このゲームのため、1以外で唯一発売日に買わなかったドラクエが8である。しかも8が出たころはこのFF11にどっぷり状態でオープニングしか見ずまともに始めたのが数か月後であった。クリアしたのは実に2009年。7年ほど放置し、ドラクエ9が発売されてからである。

こんなことを書いている自分がドラクエ回顧録を書く資格があるのかと疑われてしまうが、本当にこの時期はFF11に没頭してしまったのである。

オンラインゲームというのは実に依存性が高く、はまってしまうと良くて酒タバコ、悪いと麻薬並みの中毒性がある。幸い私は私生活に支障が出るほどの深刻な状況にはならなかったが、平日で1日4時間以上プレイし、睡眠時間が削られることもある生活に陥った。休日は1日中プレイしているときもあった。

オンラインゲームにはまってしまう恐ろしさは、「ネトゲ廃人」等の書籍を読めばなんとなくわかる。(自分もそうだった)

2002年の暮れから始めたFF11にはまり、ドラクエは全くプレイしない時期がその後3年は続く....

そう。ドラクエ8が出た時期も含めて...

今日はここまで。では、またー

2011年9月24日 (土)

ドラクエ回顧録 その16 2001年

こんばんは。

2001年  ~世紀が変わってドラクエは~

ドラクエ7がでたころ、PS2が発売されていた。そして、2001年はゲームボーイアドバンスが発売され、ハードがまた移ろう時期となっていた。

この年の7月には早くもFF10が登場し、ドラクエよりナンバリングタイトルとしては3つも先んじる形となった。FF10も新ハードでの登場だけに、ボイスが入ったり、グラフィックも格段と進化していた。

2001年はドラクエ7は2周目で全キャラMAX&全職極めを達成したが、モンスターパーク完全制覇などはさすがにできなかった。職業は異常に多いが、メタキン狩りとかしてレベルアップしないと意外と続けられる(レベルをカンストしてしまうと、モチベーションが続かなくなってしまう。)

クリア後の極め要素が続いたのは3と5と7と9だが、3、9は転職すればレベル1になるし、5は仲間になったモンスターを育てるだけでも結構かかる。7もレベルを打ち止めにしなければ、職上げは比較的続けられる。モンスター図鑑は全部埋めることはした。

ドラクエ7の極めプレイが終わりを迎えた頃FF10が出たため、この年の後半はFF10をメインにプレイするようになった。

2001年にリリースされたドラクエシリーズは4のリメイクが出た。7の会話システムを4に適応させたため、かなりキャラのイメージが変わってしまった人もいる。

私はこのブログでリプレイを載せたとおり、4のリメイクをやったのは今年になってからである。たしかにオリジナルのイメージと若干変わったようなキャラもいた。ミネアとブライは原作より黒いことが発覚。クリフトがちょっとイってしまった性格になっている。

会話システムでこれだけイメージが変わってしまうのだから。。。。

2001年当時は4のリメイクにはほとんど食指が動くことはなかった。基本的に7ベースのグラでPSに移植してクリア後の要素を加えたものであり、裏ダンジョンや移民などは7そのままという事実があって特別やりたいということはなかった。

この年、スーパーファミコンを自分のテレビから外してしまってしまった。つまり、この年以降ドラクエ6以前のシリーズをすることは(リメイク版を除いて)ないということになる。

今日はここまで。では、またー

2011年9月23日 (金)

ドラクエ回顧録 その15 2000年

こんばんは。

2000年  ~やっと出たドラゴンクエスト7~

ドラクエ7は当初1999年の年末に出る予定であった。ところが延期となり2000年の夏の発売となる。1999年の前半にはFF9も発売され、それに続いてドラクエ7が出た形となっている。

ロムカセットからCDロムになったことで、いわゆる「ディスク読み込み」がゲームのテンポを遅らせることが危惧されたが、ドラクエ7のCD読み込みには特許にもされている特別な技術が使われ、ほとんど感じさせないくらいのものであった。戦闘やマップ移動でストレスを感じることはほとんどない。当時としてはこれはすごいことである。

ドラクエ7は長い間をあけて発売されたシリーズ故なのか長く遊べるようなつくりがなされている。まず本編のボリュームが全作までと比べられないほど大きく、一般的に30時間くらいがクリアまでの目安になるのに対し、80時間~100時間はかかるような膨大なものである。転職システムは6をさらに細分化させ、人間職だけでも倍以上、モンスター職を含めると4倍以上となる。当然クリアするためにはこれらの3割くらいしか極めないで終わるくらいである。全職極めようなどと考えれば膨大な時間を要する。

モンスター辞典やモンスターパーク、ベストドレッサーを発展させたようなランキング、そして、6のダークドレアムを凌駕するクリア後の裏ボス、難易度が狂ってる裏ダンジョンなど、すべてがてんこ盛りとなっている。ドラクエ9もやりこみ要素が多いが9とは違った「やり込み要素」が満載なのである。

ストーリーは主人公とそのまわりだけで考えればそれほど悲惨な背景はないが、行く先行く先の世界の出来事に関しては5にも劣らないくらい鬱なストーリーが多い。また、後味が悪いシナリオもあったりして、想像以上に重い内容となっている。

7をプレイして最初に戸惑うのは、しょっぱなから謎解きプレイをすることになり、やりかた如何では最初の戦闘までに1時間以上かかることも珍しくない。ゲームを始めてスライムと戦闘するのにこれほど前置きが長いのも7だけである。

ドラクエ7は評価が非常に分かれている作品といわれる。シリーズ一の重厚長大さは当然ながら賛否両論。前述したCD読み込みの速さは快適であるが、反対にフリーズが発生しやすいという弱点もある。7のヒロインであるマリベルは「早すぎたツンデレ」といわれ、好き嫌いがはっきり分かれた。数々のやり込み要素も長くプレイしない人にとってはメリットでなかったりするし、4~6に比べるとキャラデザインがいまいちと受け止めた人も多い。中でも一番酷評されたのが石版システムで、不足して探し回ってとんでもなく時間がかかったなどの話も多い。またシリーズ最大のボリュームがあるゲームであるが、致命的なバグが残念ながらあったこともマイナス要因である。ただ、それだけ大きな期待もあり、長く遊べることがよしとする人にとっては7の評価は高いとされる。実は7はPSで最も売上が多いソフトであるという事実からも評価は分かれても支持されたゲームと思う。

ストーリー性は5等より低いとされているが、個々のシナリオの中身はかなり濃厚で(特に、この手の鬱ストーリーが好きな人にはかなり好評価なのでは)会話システムが導入されたのも7からである。この会話システムはのちにリメイク4や5に受け継がれ、PS5がリメイク作品で最高の評価となった要因の一つとされる。(サンチョのように会話システムで復権したキャラもいることだし)

私自身、7は5,3に次いで好きなシリーズである。社会人になってゲームする時間が減っているときに時間のかかるゲームはあまりよくないような気がしていたが、現実は全く逆で、長くプレイできるほうがいいんじゃない?といえる。

3周目をプレイしたドラクエは1,3,4,5,7である。どのようなゲームでも3周以上プレイしたゲームで悪いゲームはないと思っている。

逆に私の目での7の弱点はキーファの抜ける展開(これはあまりにも説明不足というか説得力がない)。あと注文があるとしたら、あれだけNPCが仲間になって同行するのだから、PCを増やしてほしかった。ネットなどでもよく言われているが、フォズ、シャークアイ、ジャン、ライラ(&キーファ)あたりはリメイクが出たら仲間になる仕様にしてほしいとよく言われている。6で中途半端に残した故にいまいちになってしまった仲間システムは今回も例の転職システムが存在している以上なくて正解である。今回のカジノのラッキーパネルはシリーズ中でも一番病みつきになる上、攻略上の実益としても大きいのでカジノで足止めになった方は多いのではと思う。

というわけで。2000年はドラクエ7とFF9でゲームは十分遊べた年でした。

では、またー

2011年9月22日 (木)

ドラクエ回顧録 その14 1999年

こんばんは。

1999年 ~はじめてのトルネコ~

この年は前半はFF8を主にプレイしていたが、10月ごろ、ふとしたことからトルネコの不思議なダンジョン2をやることになった。

トルネコの不思議なダンジョンシリーズは古典的なRPGであるローグというゲームが元になっている。このローグというやつだが、やったことがあるが、自動生成されたダンジョンに潜り、アイテム等をとりながら、奥に進んでいくというゲームなのだが、一度入ると生きて帰ることはできない。ひたすら階下へ進み、死ぬまで続くのである。

マップはやるたびにランダムに作られるが、ゲームバランスもへったくれもなく、レベル1でいきなり場違いな強さの敵にあたって死ぬのはあたりまえ。自分のレベルに見合った強さの敵にあたって程よくレベルアップしないとまあ、たいていは3分と持たずに死亡する。

RPGといってもグラフィックはなく、ダンジョンは#や*などの記号だけ。モンスターに至ってはアルファベットのA~Zがなんらかのモンスターにあてられている。アイテム等もすべて記号で表示される。短時間プレイゲームとして当時は注目されたゲームであったらしい。

というこのゲームをコンシューマゲームとしてリリースしたのがトルネコである。ローグの記憶が強くていまいちやりたいとは思わなかったこのシリーズだが、1999年にPSでトルネコ2が出て、知り合いの勧めでやってみることになった。

確かにローグに近いシステムにはなっているが、はっきりいってトルネコの不思議なダンジョンというゲームは詰将棋というのが正しいのではと思う。いろいろあるアイテムは使い方が多岐にわたり、組み合わせで目の前の難題をクリアしてゴールを目指す。アイテムの以外な使い方があったり、どう見てもマイナスにしかならないようなものでも利用できることがあったりと、やり込んでいくうちに面白さがわかってくるゲームでもある。一方で、どんなに知識を詰めても、運に左右される要素もあり、完璧な攻略法はない。このゲームの心得をあえてはめやすい言い方をすれば、ゴルゴ13で有名なあのセリフ「10%の才能と20%の努力、30%の臆病さと、残る40%は運だろうな」といえる。

30%の臆病さ・・・これが肝。もうちょっと大丈夫だろうと思ったときが、一番危ないとき。そんなゲームである。

かなりの難度を誇るトルネコだが、一応の本編の終了である、幸せの箱を持ち帰ることろまでであれば多少苦戦しても、難し過ぎて投げ出すことは少ないではないだろう。ただし、本編終了後、試練の館だの、魔法使い、戦士での挑戦、そして持ち込みが一切できないもっと不思議なダンジョンなどは、本当にやり込んだ人でも簡単にはクリアできない。

というわけで、1999年はトルネコ2をそこそこプレイした。ドラクエ7が延期されたこともあり、これとFF8がこの年多くプレイしたゲームとなる。FFは7あたりからいわゆるファンタジーの世界から近未来的な世界観のRPGに変貌しており、ドラクエとFFは明らかに方向性が違うのが鮮明ないなってきたと感じていたころである。ドラクエはあくまでも王道のファンタジー英雄物語の世界観を貫いてほしいと自分は思う。

今日はここまで。では、またー

2011年9月21日 (水)

ドラクエ回顧録 その13 1998年

こんばんは。

1998年  ~ドラクエから離れかけた年~

1997年もほとんどドラクエをしていなかったが、1998年はさらにしていなかったと思う。ポケモンなどが出ていたのに対してドラゴンクエストモンスターズがGBから出たが、当時はGBでゲームをしたいとは考えなかった。

FF7のあと1997年のところには書かなかったがFFTもやっていた。このFFTはタクティクスオウガにシステムや雰囲気が似ているなとおもったら、制作スタッフにオウガのメンバーがいたというから当然なのかもしれない。ちなみにFFTが出たこともあって、そのうちドラクエもSRPGの外伝が出るのではと当時考えていた。が、ドラクエのSLGは現在に至っても携帯アプリでミニゲーム的に「ドラゴンクエストウォーズ」1本出ているだけである。

そして、ようやくドラクエ7の情報がでてきたのもこの年だったと思うが、やっとか?という感じだった。(それも発売日が延期になるのだが)

ここにきて、ドラクエから離れかけていた時期でもあった。

ドラクエ7は2000年だが、次の1999年にふとしたことからあるドラクエタイトルをプレイすることになる。

今日はここまで。またー

2011年9月20日 (火)

ドラクエ回顧録 その12 1997年

こんばんは。

1997年 ~プレステとFF7~

プレイステーションが1994年末に出てこの年で3年になり、いよいよ大作ソフトも新ハードで出るようになりました。この年は、ライバルのFFが7をプレイステーションからリリースしました。一方、ドラクエのほうは、1994年に続き、一切のドラクエの作品(リメイク、移植版、外伝作品すべて含み)が出ていない年となっています。新ハードでのリリースについてはドラクエは後手を取ることが多くなってきました。

事実、ドラクエの次がでるのは2000年、この年からみても3年後であります。6から7の間は非常に長いブランクといえるでしょう。

この時点では、セガのサターンとソニーのPSが次世代機合戦をしていましたが、FFという大作がPS側に出たことでPS側が有利になっていったといいます。

なお、ドラクエは「そのとき最も売れているハードで出す」というのがあり、PSでリリースを決めたのは案外、この時期になってからなのかもしれません。この時点ではまだ7は開発中の画面ひとつなかったのですから。

私はこの年、社会人2年目で、ゲームをする時間はかなり減りました。んなわけで、この年はFF7をメインにやっていました。ドラクエ6の2周目はやったと思いますが、記憶がほとんどありません。この年はドラクエは殆どしていなかったと思います。

今日はここまで。では、またー

2011年9月18日 (日)

ドラクエ回顧録 その11 1996年 

こんばんは。

1996年  ~タクティクスオウガとドラクエ~

ドラクエ6が発売される1か月ほど前にタクティクスオウガというシミュレーションRPGがでました。伝説のオウガバトルの続編ですが、システムは全くかわっています。このゲームについて、私はオウガバトルが好きだったため、すぐ買ったのですが、何故かすぐには手を付けていませんでした。(今考えても何故すぐやらなかったのかは謎)そしてその後まもなくドラクエ6が出てドラクエのほうからプレイし、年が明けて1996年となりました。

ドラクエ6は5をあまりにやり過ぎた反動なのか、クリア後の要素について、明らかにモチベーションがありませんでした。というのも、6は職業を極めてしまうと事実上最強となってしまう、6でも仲間モンスターは加わりますが、モンスターも職がつけるため、結局職上げすることになり、無個性になります。ダークドレアムを何回か倒し、スタメン分のはぐれの悟りを手に入れ、はぐれメタルを極めてしまうと、モンスター集めやレベル上げをする気がなくなり、なんかあっさり止まってしまった気がします。

そこで、タクティクスオウガを始めました。とにかく、こいつはストーリーが重くて鬱です(でも、こういうの好きなんだよな。ドラクエ5や7が結構好きなのもこの手のストーリーが好きだからなのかも)

しかも、システムやゲームバランスの内容は非常に高レベルで、一般的なターン制のSRLGと比べても頭ひとつ出た評価です。実は最近知ったことなのですが、ある大手のゲーム雑誌での「読者の選ぶゲーム」の中でドラクエやFFをそちのいて最後まで残っていたスーパーファミコンのゲームタイトルがこのタクティクスオウガだそうです。去年末にはPSPでリメイクもしている老舗のシリーズとなっています。オウガシリーズはスーパーファミコン当時はクエストという会社から出ていましたが、最終的にオウガシリーズの版権はスクウエア・エニックスへと移り、リメイク版はスクウエア・エニックスから出ています。いまだに人気が高いシリーズとして有名でもあります。

タクティクスオウガはカオス・ロウ・ニュートラルの3つのマルチストーリーです(さらに味方キャラの生存状況からバッドエンドや特殊エンディングであるギルバルトエンディグとかもある)極めの要素も多く、地下100階を誇る死者の宮殿はそのもっともたるものです。このゲームにはまりまくり、1996年は半分以上をこのゲームだけでもっていた気がします。

ちなみにタクティクスオウガは音楽もすごくいいです。物語の節目節目の重要な場面での(難度も高い場合が多い)ステージで流れる戦闘の曲「飲酒運転」っていうやつがいい(本当の曲名は違うのだがサウンドモードではこういう名前で表示される(笑)。オウガのサウンドモードは思わず笑ってしまう名前がついているのが多い。オウガバトルのサンダー・おおえど・Aチームのテーマなんて、なるほど!という感じ・・・(サンダーバード、大江戸捜査網、特攻野郎Aチーム。たしかによく聴くとその通りである(笑))

ドラクエ6もいい曲が多いが、オウガもいいのが多く、聴き入ることも多かった。

さて、ドラクエ6がでたあと、次の7が出るまでは5年も間をあけることになる。

ドラクエ6はオウガをかなりやりこんでから2周目を始めた。それは1997年になってからのことである。

今日はここまで。また~

2011年9月16日 (金)

ドラクエ回顧録 その10 1995年

こんばんは。

1995年  ~ドラクエ6 特技優勢の時代へ~

ドラクエ5から3年。1995年の終わりごろドラクエ6はリリースされました。4から5もそれなりに間があき、それ以上に5から6もあいていました。

このころになると、大作RPGといえども並ばないと買えないような状況にはならなくなりました。大手家電量販店でも行列をなして、発売後まもなく完売・・・といったこともあまりおきなくなり、ドラクエ6もそれほど大きな混乱もなく、リリースされました。

6はある意味賛否両論の別れた新しい転職システムが導入されました。3の転職はレベル1に戻るうえ、能力値も半分になるため、終盤の敵と戦うにはそれなりに鍛えなおす必要がありました。今回はレベルを下げずにできるのですが、その覚える呪文や特技にバランスが取れていないと思われるものがあり、いろいろ問題視されました。

ドラクエ6はそれまでのシリーズに比べるとザコ敵が全体的に強くなっています。これはおそらく今回の転職システムの副作用で、レベル以上に強い技が使えたりする可能性があったからでしょう。能力値の最大値が255ではなく500になったのもこのシリーズからです。

システム面が今までのドラクエと変わったところが多いせいか5に比べるとストーリーやキャラクター性はむしろ落ちたと思われます。仲間になる人数が多く、ドラクエ4と違い、新しい転職システムの影響か個性がなくなってしまっているのが残念と言われています。バーバラやテリーは多くのプレイヤーは馬車の中か最悪ルイーダ送りにされていたと思われます。そう。どうしても後から入ったメンバーはそれまでのメンバーより弱いことが多く使いづらいのが問題です。1周目のプレイではおそらく、主人公、ハッサン、ミレーユがスタメンで、あとの1枠をチャモロ、バーバラ、アモスの誰かという人がほとんどでしょう。

難易度は4や5と比べると高いです。特に前半の最大の山場といえる本気ムドー戦は、ドラクエ2並みに全滅を繰り返した人も多かったと思います。その本気ムドー戦を終えて始めて転職ができることからもなおさらです。このムドー戦はあまりレベルを上げ過ぎてから倒すと、今度は転職後に熟練度が伸びないというジレンマもあります。この熟練度が上がるためにはレベル相応の強さの敵を相手にしないと伸びません。特技もなにもないのに、各上を相手にしなければならないとなれば苦しくなります。

いろいろなジョブをやるか、一点に特化するかは人それぞれですが、やはり、破格の性能をもつ一部の特技が強力でした。また、魔法使いや遊び人等、極端にHPが下がる職では、本編をすすめるのが難しいことから、経験値稼ぎならぬ熟練度稼ぎが必要になったシリーズでもあります。

今まで書いていることを見るとドラクエ6はひどいゲームと思われてしまいますが、破壊的にバランスが壊れているということもなく、また、特技が強力な分、敵もそれ相応に強くなっているため問題はありません。海の中に潜ったり、ベストドレッサーやスライム闘技場など本編以外の要素も追加されています。

ストーリーは5までより複雑でやや難しい内容です。また、レベルよりも熟練度が重要なことで戦略的にすすめるプレーが必要になります。いい意味でも悪い意味でも新しい試みがあったドラクエといえます。

ただ、転職システムは次の7で完成し、5のモンスター仲間システムはモンスターまで転職できてしまうことから個性が低くなりがちでみんな同じ特技がつかえるようになるという前提だと、人間キャラを優先して使いたくなってしまうのは仕方のないことです。このへんが中途半端なのが6の弱みではないかと感じます。

5はすべての仲間をそろえて最大レベルまで上げたけど、6は全員そろえるどころか、最大レベルまで上げることもしなかったと思う。

モンスターを集めたり育てたりするシステムは5のほうが楽しいです。

クリア後はドラゴンを極めてしまうと、残念ながら難易度が大きく下がり、悲しいことに、スタメン全員が全ジョブを極めるとモチベーションがかなり落ちてしまうという欠点があります。裏ボスのダークドレアムはとても強いですが、全部の職を極めると、かなり楽に倒せます。

ドラクエ6というと本気ムドー以外にも「海底宝物庫のキラーマジンガ」とか「ダークドレアムvsデスタムーア」とかシリーズの中でも屈指の名(珍?)場面があります。

あと、個人的には結構音楽がいいのが揃ってる。曲のことは前にたくさんかきましたが、3,5,6はかなり心に残っている。

さて、この年は私にとってはドラクエ6よりはまったゲームが別にリリースされている。ドラクエ6より少しだけ早くでたのだが、最初はあまり手をださずに寝かせて、ドラクエ6のほうを先にクリアし、その後、こちらにハマった。このゲームについては翌年の1996年でお話します。

今日はここまで。では、また~

2011年9月15日 (木)

ドラクエ回顧録 その9 1994年

こんばんは。

ドラクエ回顧録 1994年 ~FFに追い抜かれたとき~

1994年はついにドラゴンクエストのナンバーがファイナルファンタジーに追い抜かれてしまった年である。ファイナルファンタジーシリーズは3~6くらいが一番勢いがあった時期であり、古いFFシリーズが好きな人は5前後あたりが、SFC期のFFが最高という人が多い。

ドラクエ5の後はリメイクのドラクエ1・2やトルネコの不思議なダンジョンが出ていたが、トルネコは当時はあまり関心がなくプレイしなかった。

ドラクエ6がでるのはそのFF6が出てから半年以上たってからである。ドラクエはこの辺あたりから開発期間が冗長化していく。

2年周期で出ていたドラクエもこの年に出なかったことにより、話題はFFや真・女神転生等、いわゆる他の大作シリーズにとられることになる(真・女神転生2がでたのもこの年だったかな)

この年はさすがにドラクエはあまりしていない。ドラクエ5はほぼやりつくした感があり、FFやオウガのほうをプレイすることが多かった。メガテンシリーズもやった。

というわけで、この1994年はドラクエからやや離れていた時期であった。

では、また~

2011年9月13日 (火)

ドラクエ回顧録 その8 1993年

こんばんは。

1993年  ~ドラクエとオウガバトル~

1993年は私にとってドラクエ同様、最も好きなシリーズが出た年です。書いてある通り、伝説のオウガバトルがリリースされた年です。

オウガバトルはジャンルとしてはSLGRPGに入るのですが、いわゆるターン制ではなく、リアルタイムで敵味方が動くというものです。SLGRPGは家庭用ゲーム機ではまだほとんど出ていないジャンルでファイアーエンンブレムやシャイニングフォースシリーズくらいでしょう。パソコンでもマスターオブモンスターズ等がありましたが、まだマイナーな部類でした。

ドラクエ5→FF5→オウガバトルとスーパーファミコンのゲームを遊んでいた時期と思います。オウガバトルはマルチエンディングで途中のプロセスでエンディング結果に天と地の差が出ます。キャラクター性もあり、かなりハマった記憶があります。エンディング数がかなりあるうえ、主人公が男か女でまた違うということでこちらも相当時間を費やしました。

1993年はドラクエは3周目をしていました。1周目ビアンカ、2周目フローラときて、3周目はまたビアンカに戻りました。この3周目の時に大学時代の友人と仲間モンスターの話題が盛り上がり、○○の何匹目って名前なんだ?みたいなこともあり、ひたすらモンスター狩りをしていた気がします。気づけば256分の1の4強であるはぐれメタルやヘルバトラー、キラーマシンは3体仲間になっており、グレイトドラゴンやスライムナイトといってレギュラーでつよいモンスターは軒並み4匹集まって(正確には3匹目がきたところで1匹クビにするのですが)かつほぼ全員がレベルMAXまであげきっていました。最終的に4匹目が仲間になっていなかったのが爆弾岩とスライムベホマズンだけになった覚えがあります。ひとしこのみ技もまだ知られていない時代だったので今考えると信じられないくらい殺戮しまくっていたのかもしれません。

今日はこれまで。では、またー

2011年9月10日 (土)

ドラクエ回顧録 その7 1992年

こんばんは。

ドラクエ回顧録 1992年 ~わりと地味に登場したドラクエ5~

1992年はドラクエ5がリリースされた年です。ドラクエ5も全体からみると人気が高いシリーズですが、地味な出方をしました。3でロトシリーズが完結し、直接の後続の作品となっていないため、4と同じような状況となりました。タイトルが「天空の花嫁」ということで、またとんでもない方向にいってしまうのではという期待と不安があったらしいです。

またSFC初のドラクエでしたが、そのハードを生かしきっていないといわれました。たしかに、SFCになったのにグラフィックは結構地味。ライバルのファイナルファンタジーが4でいきなりあのクオリティを出したわけですから、比較されてしまうのはやむをえないです。このドラクエ5、4に続いてプレイヤーを驚かしたのはついに「主人公は勇者ではない」ということをやらかしました。これを良しと思う人、悪しと思う人分かれました。一方でシナリオとストーリー性がかなり高く、こちらはかなり高評価でした。

ドラクエ5といえば、ある意味初のマルチシナリオといっても過言ではありません。もう20年近くたつというのにいまだビアンカ・フローラ議論が絶えないのも、5の最大の分岐ポイントとなる結婚イベントがあり、ここまで大きくストーリーが分かれるというシリーズ唯一の作品からかもしれません。

他にもモンスターを仲間にするシステムが初登場。これはのちのモンスターズに引き継がれ、クリア後の隠しダンジョンや裏ボスが登場したのも5が初です。

ドラクエ5は実は3以降、オリジナルの売り上げが最も低いタイトルでしたが、PS2のリメイクはリメイク作品で最も売れたソフトの一つであり、ドラクエシリーズのリメイクでも最多となります。DS版も100万本以上売れ、発表されている数字だけで比較すれば、オリジナルとリメイクの合算の売り上げが一番多いのがこの5という事実があります。(携帯版の出ている3の売上の計算のしかた次第では3のほうが上かもしれません)オリジナルに対してリメイクが売れていることから、当初よりも後から評価されたタイトルといえるでしょう。

ちなみドラクエ5では私は初プレイではビアンカを嫁にしました。ビアンカ派のほうが多いですがフローラを初プレイで選んだ友人もいました。

今年になって十年ぶりにリメイク版でプレイしたドラクエ5ですが、今やっても楽しめました。ドラクエシリーズの中でも息の長い人気の作品なのは間違いないのでしょう。

SFCの5はちょうどファイナルファンタジー4と5の間に発売されました。また真・女神転生が登場したのもこの年です。大作RPGの年でした。

今日はこれまで。では、また~

2011年9月 9日 (金)

ドラクエ回顧録 その6 1991年

こんばんは。

ドラクエ回顧録、1991年 ~大学進学とスーパーファミコン~

ドラクエ4が発売された同時期、スーパーファミコンが発売されました。それに伴い、ファミコンで歴代シリーズを連ねたシリーズものも新作が徐々にスーパーファミコンに移行していく流れとなっていきます。ドラクエ4の次作である5は、開発画面だけはかなり早い時期に発表されました。覚えている人もいるとおもいますが、かいはつちゅうがあらわれた!の戦闘画面に確かソルジャーブルと何かのモンスターが出ていた1枚の画像でした。しかし、この画像のあと長らく半年以上他の画像らしいものが全く現れず、「かいはつちゅうしかあらわれない」と揶揄されていたのが1991年です。しかも、ライバルであるファイナルファンタジーは4をリリース。スーパーファミコンではここまできれいな画面ができるんだということを知らしめました。音源もファミコンの比ではなく、すばらしい出来です。余談ですが、私はファイナルファンタジーシリーズはこの4が一番好きです。

1991年は実は私が大学入学した年です。アルバイトもするようになり、スーパーファミコンとFF4は自分で購入しました。一方で、ファミコンソフトで最後に買ったのはメタルマックスだと思います。(メタルマックスシリーズもなぜか最近新作が出ていた気がするが・・・)

FF4の登場で、ドラクエがFFに抜かれたと評する人も多くなってきました。なにより新作のリリース速度が速く、並んでしまったのです。なので、ドラクエ5に対する世間の期待も大きくなっていくのでありました。

今日はここまで。では、また~

2011年9月 8日 (木)

ドラクエ回顧録 その5 1990年

こんばんは。昨日はドラクエ10の発表で寄り道話になってしまい失礼。もとにもどします。

1990年。ドラクエ3からちょうど2年後の2月11日に、ドラクエ4がリリースされました。このときのドラクエ4のテレビの宣伝が一風変わっていたのを覚えています。確か「序曲」をラップ調の曲にが流れているものの、映像は電車の車窓風景みたいのが流れていくだけで、ゲームには全く関係ないもの。そしてDQ4の文字がでてきて2月11日発売みたいな。

ドラクエ4は前作のロト3部作とは全く別のストーリーで前評判は新しいドラクエに対する期待とロトシリーズではないという不安から、ドラクエ3よりかはやや引いた感じの評価でした。さらに5章立てのオムニバス形式というのがなんなのか。ただ、ゲーム雑誌にはだいたいのキャラや進行などが情報として流れていました。

ドラクエ3のときに社会現象となり学校を休んで列に並んだり、抱き合わせやドラクエを巡る犯罪があっただけに、このときはそれほど大きな混乱はありませんでした。ただし、やっぱり並んでいるろころはならんでいたし、抱き合わせで販売していたところもありました。

4は5章になる前、4章までは1章あたりの長さは少なく、1章や3章はおそらく2時間もあれば終わるでしょう。発売日に根をつめてやれば、その日のうちにメインストーリーである5章にたどりつきます。

キャラクターが多彩なのが4の特徴ですが、1章は一人旅を、2章は3人のバランスパーティといった感じで、ちょうどドラクエ1,2の当初の導入の意図に近いシステムとなっています。キャラでは2章のアリーナのキャラ設定がいわゆる普通のお姫様のイメージを覆しているのがなんといっても突出しています。実際、このアリーナ姫は間違いなくメンバーの中でダントツに強く、勇者より強いと評価する人すらいます。3章のトルネコは武器商人という異質なキャラです。残念ながら4ではあまり評価をされていませんでしたが、彼はやがてトルネコの不思議なダンジョンシリーズで晴れて主役になってしまいます。

1~4章を終えて5章になり、いきなりデスピサロに村を滅ぼされた勇者がたった一人で旅立ちます。その後1~4章の導かれし者たちが仲間になり、8人+αのパーティとなるのです。

FC4の5章における最大の特徴は主人公である勇者以外は具体的な戦闘指示が出せないこと。これにつきます。特に後衛キャラは本当に使ってほしい呪文をつかわせるのに一苦労します。また、「学習により効果的に戦う」というAIの性質上、必ずはじめのうちはありえないような行動をし、ひどい目をみることも少なくありません。そのため、AIでよくいわれたことが、

・クリフトはザキ・ザラキが大好き。新顔ならボスだろうと最初の一手はザラキ。彼のザラキを止めるには「じゅもんつかうな」にするしかない

・ブライはメダパニキチガイ。ボス戦でもバイキルトを使ってくれたためしはない。ヒャダイン大好きでマヒャド使えば壊滅できるのに全部巻き込もうとヒャダインするから1匹も仕留められず反撃される

・マーニャは攻撃魔法しかないからクリフトやブライよりましだけど、彼女はもともとの性格からも推測される通り派手にぶっぱなすからMPの管理がきつい。

・ミネアは魔法系の中では一番まともにAIが働く。でも、彼女も回復よりバギクロス使うのが好きみたいだね。あと、メガザルはどうやったら使ってくれるのだ?

とにかく行動がバカでめちゃくちゃで、これで難易度がかなり高くなっていたといわれていました。これがいやで通常戦闘は勇者、ライアン、アリーナ、マーニャというある意味ヘンにひねった戦略をとらず、ストレートに相手を攻撃できる編成が一番多かったという噂もあります。アリーナとライアンは殴ることしかできないし、マーニャは絡め手の魔法をほとんど持たないため、ほぼメラギライオ系で攻撃します。

ドラクエ3はレベル40前後でクリアできますが、4はこのAIで難易度があがり、だいたい40代後半がクリアレベルといわれています。実際に4は補助魔法(ルカニ、スクルト、バイキルト、フバーハ)が非常に強力で、これをまともに使えるリメイク版ではおそらく30代でラスボスが倒せてしまいます。少なくとも「いのちだいじに」にしないと、ボス戦で回復役が回復をしてくれません。デスピサロ戦に至っては、メインヒーラーが勇者だったという人は多かったと思います(私もそうでした)

なんとか強力な補助呪文を使わせるために「いろいろやろうぜ」にしたが最後、ランダムにありとあらゆる行動をとるため、「めちゃくちゃやろうぜ」といったほうが正しい(笑)。デスピサロ戦でこの作戦にしたらHPが減ってないのにちからのたてを掲げてみたり、銀のタロットを使ったり、クリフトにバイキルトかけたりとかプレイヤーから見たらオートメダパニにしかみえないのである。

ただAIがくそだからおもしろくなねえ、で片づけられないのもそれなりに評価されていたからでしょう。実際、このAIは賛否がいろいろなところで論議されました。完全に操作できないのがいいのだという声も確かにあり、論議につきません。

ちなみに、バトルロードのクリフトのとどめの一撃はこの4のAIの特徴的なクリフトの行動を元ネタにしています。FC4をプレイした人なら思わずニヤリとするでしょう。

1990年にはドラクエのライバルであるFFの3もでました。このFF3も非常に完成度が高く、これでドラクエにFFが追いついたという評価をした人もいます。

もちろん私もプレイしました。場面場面でいろいろなジョブにクラスチェンジするのが楽しいRPGで、ドラクエ3とは違うこの転職システムは好評でした。FF3はドラクエと比べるとやや難易度は高めです。

ドラクエ、FF以外にも、この年は今後シリーズとして定着していくゲームが2つありました。一つは女神転生2。いわずものかなこれでメガテンの流れが定着した作品です。もう一つは、シミュレーションRPGのジャンルを開拓した「ファイアーエンブレム」があります。ファイアーエンブレムは当時のファミコンゲームとして信じられないくらい難易度が高かったです。それもアクションゲームではなく思考系ゲームとしてであります。

私はどちらもプレイし、両方ともクリアしました。ドラクエとは全く違うゲームでもあります。このころはまさにファミコンRPGの熟成期といえます。

今日はここまで。では、またー

2011年9月 7日 (水)

《寄り道》ドラクエ10の発売の正式発表

こんばんは。

今日は回顧録1990年を書く予定でしたが、9/5にドラクエ10の正式な発売の発表があったため、このことについてちょっと横道にそれます。失礼。

今までWiiででることくらいしか情報がなく、タイトルロゴも開発中の画像1枚すらなかったため、中身が全くわからなかったのですが、ついに正式発表がありました。

「ドラゴンクエスト X 目覚めし5つの種族」「オンライン」

はあ、ドラクエをこっちの路線に持ってきましたか。というのが私の感想です。このサブタイトルは明らかにオンラインゲームが念頭にあり、5つの種別というのは間違いなく、プレイヤーの分身であるキャラクターが5種族いるのでしょう。さらに開発中の写真もありました。これを見た瞬間、私が感じたことは「FF11っぽいなー」である。

私自身FF11を経験したことがあるので、この開発中の画像を見ると、視点はドラクエ8のような3D。キャラクターの頭に名前がある。複数のキャラクターがバラバラに動いている。第一印象がFF11の構成に似ているのである。

さらに前述の5つの種族。FF11もプレイヤーが選べるのは5種族である。また、レベルアップや転職の仕組みは9のものを踏襲するという。この9の転職システムがまさにFF11の転職に近い。FF11もDQ9も転職すると未経験ならレベル1となる。複数の職業をレベル上げれば、後で転職しなおしてもそのレベルで続行できる。FF11ではサポートジョブといってメイン職業の半分のレベルとして魔法や特技が使えるシステムだが、ドラクエ9は特技は覚えたら職を変えても使える。魔法はつかえなくなると若干違うが類似点も多い。装備品は今ついている職業に依存する。これもDQ9、FF11共通。

オンラインにするとなると、かなり調整が難航するのではとおもう。ドラクエはFFよりライトユーザも多いし、小学生がプレイすることもある。オンラインだと、それなりに敷居が高くなると思われる。

ちなみに「オンラインでなくてもプレイできる」「酒場に預けて他のプレイヤーに雇われて行動すれば、自身はログインしていなくても経験値が入る」らしいが、このへんはかなりきちんとしたシステムにしないと、ゲームバランスが崩壊したり、プレイヤー間の格差の問題が致命的になる等になりかねない。少なくとも、オンラインでプレイできないと楽しさが半減、それ以上というゲームにはしてほしくない。ドラクエ9のときもそうだったが、肝となるすれ違い通信はいい意味でも悪い意味でも「旬」であった。つまり、「旬」が過ぎたあとはさっぱりということになる。オンラインも人がたくさんいるうちはいいが過疎化したらあっというまにサービス終了とか勘弁してほしい。

システムのアップデートがあるかないかも重要なポイントである。特定の特技や魔法、アイテムが強すぎると全プレイヤーがそれらを使ってあたりまえとなってしまい、問題となる。ドラクエ6であったようなドラゴンを極めたあとは輝く息と灼熱の炎ばっかりになってしまうようなことは避けてほしい。また、開発時に想定されていない戦法や裏ワザ等、必ず見つかってしまうものである。これらが広まった後の対処がちゃんとできるかが肝となる。FF11は強すぎる要素を弱体化したり、あるいは代替のものを追加するなどバランスを取るためのパッチが定期的に行われる。ドラクエ10はどうだろうか。

ハードがwiiとwii-Uというのも気になる。オンラインならPCも範囲に入ってこないのか?と感じるのは私だけではないはずだ。wiiはセーブデータのセキュリティが非常に強固で、メモリ等を改ざんするとwii本体が永久に使用不可になるような仕組みがある。これを考えると、いわゆる9と同じセーブデータは1個だけの可能性が高い。オフラインでも遊べることから、セーブデータがサーバ側にあるとは考えにくいが、チート(キャラデータを改ざんしてありえないような強力キャラにしたり、正規の方法では手に入らないアイテムを持たせたりする)対策等を強固にするためにおそらくセーブデータを複数のぼうけんのしょにコピーできるようなことはないであろう。

もう一つ気になるのは課金のシステムがあるかどうかである。今でこそ無料のオンラインゲームは大半が課金すると非常に有利になる、もしくは課金しないととてもじゃないけどやってらんないほど苦しくなるバランスなのがほとんど。ドラクエ10はおそらくパッケージ販売で、有料と思われるので課金は追加シナリオやシステムだけにしてほしい。下手な課金システムを入れると、低い年齢層もプレイするゲームなのだからこれまた問題になる。

さらに気になるのは戦闘。従来のドラクエみたいにコマンド式にするとなると、プレイヤー間のレスポンスの違いからスムーズに進まない可能性もある。入力が遅い人がいるとイライラしてせっかくの人と人のつながりがギクシャクするのでは本末転倒である。かといってFF11みたいにマップ上の敵がいて休む暇もなく戦闘。考えることも許されずコマンド選択に手こずっているうちにボコボコにされて昇天・・・なんていうのはドラクエらしくないので勘弁してほしい。

まあ、発表されたばかりだし、おそらくこれから2年はかかるでしょう。来年中に完成できれば御の字でしょう。ただし、正式に発売日を発表したら、その日は守ってほしい。3以降、発売日が延期されなかったのは8だけなんですから。ちゃんとスケジュールは守ってよ。

というわけでまだほとんど内容もわからないドラクエ10の期待と不安と予想とデンデンデンと書きました。

次回からは回顧録にもどります。

では、またー

2011年9月 6日 (火)

ドラクエ回顧録 その4 1989年

こんばんは。

今日はロトシリーズ最後の3が出た翌年の1989年です。

ドラクエ3、FF2と出てファミコンでも、RPGの勢力が非常に大きくなったのはこの時期です。玉石混淆でいろいろなものが増殖をしていました。

この年は私は1988年末に出たFF2やパソコンゲームをしており、ドラクエのプレイ時間は少な目でした。ドラクエ3の3周目かをしていた気がしますが、ランシールバグ技とかをやってレベル99のセーブデータを飛ばしたことは覚えいます(笑)。さすがにデータが飛ぶとやる気がさがりますね。

1986年から1年に1本のペースで新作が出ていたドラクエも、さすがにロトシリーズ完結のため、すぐには次は出なかったのでしょう。1989年にはドラクエのタイトルは出ませんでした。ただ、すでにこの時点で4の制作には入っていたようです。

1989年時点で、のちにファミコン・スーパーファミコン時代の4大RPGと言われた「DQ(ドラゴンクエスト)」「FF(ファイナルファンタジー)」「メガテン(女神転生)」「WIZ(ウィザードリィ)」はこの年にはどのシリーズもリリース済みでした。ドラクエのライバルとなるソフトもすでに生まれていたのです。

今日はここまで。では、またー

2011年9月 4日 (日)

ドラクエ回顧録 その3 1988年

こんばんは。

今日は1988年のドラクエ事情について

1988年はついに社会現象までおこしたあのドラクエ3が出た年です。ゲームがもたらした世間への影響の大きさとしては、1978年のスペースインベーダーのブームに次ぐといわれています。このドラクエフィーバーがある程度の規模でおきるとして予測され、それなりに発売日には供給量を準備したといわれています。しかし、ドラクエ3の発売日当日の社会現象は知っている人もいるかもしれませんが、2日前からヨドバシカメラのような量販店で泊まり込みで並んでいたり、発売当日に数百mの列ができたというとんでもないものです。また、こういうこともあったせいで、ドラクエ狩りとか、ドラクエがもとで傷害事件が起きるといった問題もありました。また、禁止されている商法である「抱き合わせ」で販売する店がかなりあったのを覚えています。直接な抱き合わせだとあからさまで、特定の売れないゲームを定価で買うとドラクエ3を購入する権利を得るみたいな間接的な抱き合わせが当たり前に発生しました。初回出荷後はROMの生産が追い付かず、増販がかなり間が空いたこともあり、先に手に入れた人から何万円も出して買い取るだのをした人もいるといわれます。増販が出るまでは中古でも定価とほとんど変わらない値段で売っていました。(これさえも在庫があればかなりラッキーでした)

ちなみに私は普通に発売日に求めても買えまいと思い、高島屋でで予約して買いました。(当時はまだ量販店では予約販売してなかったと思います)が、このすさまじい行列やドラクエを巡っての犯罪が報道されたには驚いたものです。

ドラクエ3も実に前作から1年しかたっていません。にも関わらず、完成度が非常に高いゲームでした。23年経った今年でも、いまだシリーズの最高峰がドラクエ3だという人が多いです。ドラクエ3は数あるRPGの中でもゲームバランスが最高レベルであるのは否定しません。ドラクエ3は1を作った当時から構想としてはあったものの、実際に開発が始まった時期を考えれば最近作にくらべると開発スピードは恐ろしく早いといえます。

ドラクエ3もロムカセットの限界に挑戦していた努力があちこちにみられます。その最大の有名な箇所はオープニングでしょう。ロゴもタイトルも出ず、「序曲」の音楽すら流れません。真っ暗な画面にテキストでDRAGON QUEST III と表示されたあと、ぼうけんのしょを選択する画面になってしまうのです。

ドラクエ3は今までのシリーズと違い、主人公である勇者のほかにルイーダの酒場で同行する仲間をキャラメイクできます。この手法はウィザードリィなどのパソコンのRPGでは割と主流だったのですが、ファミコンのRPGではファイナルファンタジーくらいのものです。(厳密には少しはあったのですが)

つまり、自分で好きな編成をして冒険の旅に出ることができるのです。多くの初プレイはたいていマニュアルでも推奨というかオーソドックスな戦士・僧侶・魔法使いを加えるケースが多いですが、武闘家を入れたり、途中で賢者にしたりといろいろできるものでした。ドラクエ3は2のような理不尽な敵の配置はなく、ダンジョンの構成もそれほど難しくありません。本当に遊びやすいゲームバランスが好評価された一因であることは間違いないです。さらにクリア後にはほかの職業で遊んだりとクリア後も遊べる要素がありました。

初代FCドラクエ3の最大の欠点(といよりバッテリーバックアップの最大の難点といったほうがいいか)はカセットを挿してスイッチを入れたときにおきる「お気の毒ですが・・・・」ではないでしょうか。あれで泣いたプレイヤーは全国に星の数ほどいると思われます。私自身も3回ほど消えました。幸いにも一度に3か所全滅はなかったものの、恐怖以外のなにものでもありません。

ドラクエ3が登場した1988年は日本もバブル経済真っただ中。お金を持っていることが幸せといわれた時代です。ファミコンもこの頃が最高潮といわれていたころでした。

この年はRPGに関してはパソコンも活況でした。ウィザードリィやウルティマシリーズはもとより、国産のRPGも日本ファルコム系(イースとか)等良作がたくさんでました。ドラクエの対抗馬であるファイナルファンタジーも2がこの年の末には出て、まさしく大豊作の年ではなかったでしょうか。私はこの年もゲーム三昧。学生だった当時、学校から帰宅すると、ほとんどゲームしていたように思います。

今日はここまで。では、また~

2011年9月 2日 (金)

ドラクエ回顧録 その2 1987年

こんばんは。

ドラクエ25年の回顧録。今日は1987年。

1987年の1月。ドラクエ1がリリースされたあと、わずか8か月後には2がリリースされました。最近の4~5年周期を考えると鬼のような速さです。

ドラクエ1がでた後、ライバルとなるRPGも出始めてはいました。特にファミコンにディスクシステムが出たときにリリースされた「ゼルダの伝説」が非常に評判がよかったです。そして、ドラクエやゼルダをマネした数々のRPGが次々と現れました。そんな中、ドラクエ2がリリースされました。

ドラクエ2は需要に対し初回の供給量がとても少なく、ほとんどの店で売り切れになってしまいました。私は運よく予約で購入したため、すぐに始めることができました。

2は3人のPTになり、敵も複数出現します。ドラクエ史上最高の難易度といわれるこのFC2ですが当時はその難易度も新鮮で難しいという感じは殆どしませんでした。理不尽といわれた敵が時折出現するとか、ロンダルキアのダンジョンの難易度が異常とかいわれていますが、むしろ、私にとっては水門の鍵とか水の羽衣がいつ完成するかのほうが詰まった覚えがあります。特に後者はいったんゲームをやめて再開するというものだったため、半日以上テレビをつけっぱなしのまま全く進まないという状態に陥りました。

最後のダンジョンのアトラス、バズズ、べリアルにはそれぞれ1回ずつ敗北しましたが、ハーゴンとシドーは一発で終わってしまいました。悲しいことに、ローレシアの王子に攻撃をすべて任せて、あとの二人はひたすら回復か力の楯を掲げているだけにするのがベストというかそれ以外の戦略がない(笑)のです。

クリアして、「この道わが旅」のエンディングを持って終了しました。ちなみに、クリア後、初回版が買えなかった友達に貸してしまい、1か月ほど続き(というか2週目)ができなかったのでした(ちなみにそのときにリンクの冒険とかメトロイドとかやってたなあ)

その後、家族でもドラクエ2をプレイするようになり、妹はいうに及ばず、実家から近いところに住んでいた祖父母と同居している叔父が家に来た時(たしか、ただもらいもののお土産かなんかを置きに来ただけだっただけなのに)ドラクエ2を見せたら、その日、徹夜してプレイしていったのを覚えています(笑)

ドラクエ2は1以上にヒットし、評価もうなぎのぼりに上がっていった。やがて、翌年にでる社会現象を起こした3に続くことになります。

RPG自体も次から次と新しいものが登場していきました。中にはとんでもない粗悪品もあったが、RPGというジャンルが確実に伸びだしたのは事実であります。1987年の末には、やがてドラクエの最大のライバルとなるファイナルファンタジーシリーズの1作目も登場しました。

私もこの1987年はドラクエ2以外にもパソコンのRPGもいくつもしました。ウィザードリィやザナドゥ、ウルティマ4など。これらはドラクエ2よりも難易度が高く、後から考えるとドラクエ2ってそんなに難しい?と思ったくらいでありました。

ファイナルファンタジーも発売後すぐ買ってプレイしました。こちらの印象はテーブルトークのD&DをコンピュータRPGにしたらこうなったんだというイメージでありました。

私はこの年はRPGどっぷり....でした。

今日はここまで。ではまたー

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